施主取材

家と主人のいい関係

家というひとつの箱を自分らしく、
素敵に彩りたいと、誰しもが思う。
そのときに必要なのが、〝個人の思い〟だ。
これまでどのような家で、どのように人生を歩み、
暮らしを営んできたのか。
ある一人の施主を訪ねた。

 家を囲むように生い茂る草木。茶色というよりも、真っ黒く日焼けした木の壁。風格漂う佇まいは、ちっとも古臭さを感じさせない。生きているような温かみのあるその家は、住宅街の中でひときわ目立っていた。よく手入れされた庭の木の葉をくぐると、チャーミングな笑顔で出迎えてくれたのが主人の河口さんだ。
 今から一〇年前、残りの人生をスタートするために、もともと住んでいた自宅を取り壊して同じ土地に二階建ての新居を構えた。近くには高層マンション、周りにはおしあいへしあい家々が建ち並ぶ。そんな立地を感じさせない窓からの眺めと太陽の日差しがとても心地よい。一階から二階への吹き抜けは空につながっているかのような開放感で、縦に広く、横に奥行きを感じる空間が特徴だ。

 河口さんはこの家で愛犬ゴローとふたりで暮らしている。
「陰影…って、わかるかしら。生活するのと、住むというのは似た表現だけれど、違うことだと思うんです。はじめに住んでいた家は、生活するためにはいいけれども、陰影がなかった。空間を楽しむのには物足りない家だったの」
そう思い始めたのは、河口さんが四〇歳の頃。二〇代で結婚するとすぐに子供を持ち、駆け抜けるように過ごした日々は生活することで精一杯。子供が自分の手を離れ、ようやく人生や住まいについて考える時間が生まれたことが始まりだった。
 けれど、いまどきのデザイナーズマンションや建売、中古住宅の手直しでは、思い描いていた住まいの姿と少し違う。そう悩んでいると、四〇年来の付き合いになる動物病院の先生から、「技拓」を紹介してもらい、お施主さんの家にお邪魔することになった。「見た瞬間、私もこんな家に住みたい!と思いました」と河口さん。ゴローの動物病院への帰り道、鵠沼で技拓の家を見つけては、あのときの記憶が蘇ってくる…。それで思い切って電話をかけた河口さんは「はじめは新しく建てるつもりはなくて、前の家を修理して住もうと思っていたの。けれど、あれこれ相談しているうちに、建て替えることにしちゃったのよね。でもおかげで大満足」と言う。


 特徴的な板張りの外観はもちろんのこと、扉で空間を区切らず、壁や柱を活かしたシンプルな設計には広く伸び伸びとした雰囲気が漂う。余白を大切にした空間には、自然と奥行きが生まれるのかもしれない。リビングには壁一面の大きな本棚があり、小説や画集、登山地図やバリエーションルートなどの関連本がずらりと並んでいる。他にも、水墨画や硯、モロッコで買った動物柄のマット、階段の角に置かれた登山用具の靴や、ヘッドライトなども見せてもらった。二階の棚にも旅先で買った各国のお土産や、亡くなった夫が遺した品もある。いつかの思い出と、これからの楽しみを担うものがそっと同居する様子が心地よい。


 河口さんは大の登山好きだ。登山は生活に切っても切り離せないものだという。七五歳の今でも一〇キログラムの荷物を背負って年間で八〇回ほど登る。同じ山もコースや季節を変えて登ってみるのが登山の醍醐味だそう。梅雨の時期はまるで水墨画の世界。秋は山の輪郭がくっきり見え、冬は雪景色。登るたびに違う表情を見せる山々に河口さんはさらに惹かれていく。だから山は面白いという。過去に大きな怪我も二度ほど経験したが、帰ってきてしばらく経つとまた登りたくなる。「ね、面白いでしょ?」と、河口さんは可愛らしく笑う。
 山登りを始めたきっかけは実は意外なことからだった。二十歳の頃。体を動かしたい、何かしたいという気持ちで、大学の山岳サークルへ入った。今はチャーミングでパワフルな印象の河口さん。昔は体が丈夫な方ではなく、小児結核で中学生では肝臓を患っていた。「母からは、夕方以降は外に出ない。夜九時には寝なさい。あらゆることを制限されていたから、子供の頃は自分の意志で動きたい、何かをしたいっていうのが一切なかったの」


 いきなり走ることはできないけれど、歩くことはできる。まずは一週間かけて、群馬県の尾瀬を回り尽くした。面白い。これをきっかけに山の虜になって山登りを始めたという。心配だった体もいつしか丈夫になり、さらに山にのめり込んでいく。大学卒業後は教員として働き始め、海外の山にも挑戦する。初めての海外登山で最高峰エベレストの麓まで行ったツワモノだ。「怖くないんですか?」と聞くと、「落ち着いて動けばなーんにも怖くない。パニックになると事故を起こすのよ。なんでもそうよね。余裕がないとうまくいかない。仕事も遊びも料理も」。
 余裕。河口さん自身もその言葉の示す本当の意味が実感できないまま何十年も過ぎた。二〇代前半で結婚し、若くして二児の母になった。子供たちを育てるために、マッチ箱のような小さなプレハブ住宅に家族四人で生活し、夫婦の時間や自分の時間を削って、仕事も家事も育児もそつなくこなした。子供たちのために毎日精一杯駆け抜けたという。
 「若いときは、生活するために家も食器も家具も買ったわ。家はとにかく部屋数で決めていたの。お金もないし、家に対する我慢は強かった。歳を重ねていくと家で過ごす時間も増えるし、家とともに人生を歩んでゆくという事に、気がついて。ピカピカな家に住むのではなく、家とともに自分も古びていくものだと思ったの」


 夫に先立たれて独りになると、前の家の思い出は上手に洗い流し、荷物も半分以下にした。夫の荷物はほとんど捨ててしまったそう。これまでの生活や夫に愛や未練がないわけではない。自分の余生を満足して過ごすための河口さんらしいスマートな切り替えだった。
 光、眺め、風、いたるところに見られる工夫、遊び……。河口さんの話を聞きながらもう一度家を眺めてみた。
一人でも車椅子で暮らせるようにと、通路は広めに設けられ、高低差が全くない。お風呂は三枚扉でトイレに壁がないのも、そのせいだ。派手さはないが奥ゆかしく、日本の昔ながらの住居に備わっていた簡素の美が感じられる。「ここは敷地内に建てられる最高の住まいだと思う。実に作りが簡素であるって事ね。設計士が私の希望をすべて入れてくれたから、使いづらい点が一つもない。文句のつけようがないの」

 河口さんに「住まいづくりのお手本は?」と尋ねてみた。「お手本とか、真似したいとかそういうことは全くないけれど、自分の住まいや家づくりの基本は何だって考えれば、それはやっぱり生まれ育った実家なのかもしれない。伊勢のだだっ広い実家に憧れて、家の敷居をすべて外したの。でも友達が遊びに来たとき、この吹き抜けがもったいないって言われることもある。でもあえて空間を贅沢に使う設計にしたの。無駄の効用って大切よ?」
 つまり、空間の無駄づかい。部屋数を増やして仕切りだらけの窮屈な空間は息がつまりそうになるけれど、日々の生活にゆとりを残すことで、開放感が生まれる。だからこの家は心地が良いのだ。
 一息ついて、河口さんがぽつっとつぶやいた。「私もこの歳になったから言えることなの。若いときはとにかく生きていくので精一杯。いっぱい失敗して、たくさん後悔したわよ」。
この言葉にふっと肩の力が抜けた。


 昔に比べて、誰もが上質な暮らしを想像し、憧れを持つ人も増えた。しかしその一方で、まだまだ多くの人が経済面などで余裕がなかったり、日々を生きてゆくのに精一杯。理想と現実とのギャップに諦めざるをえないと思っている人も多くいるかもしれない。けれど、それは今も昔も変わらないことだと河口さんは教えてくれたのだ。
 私たちは長い人生の中で結婚や、出産、パートナーとの別れなどを経て、暮らしの単位を変えていく。住まいを持つタイミングは人それぞれで基本は一度きり。だからこそ単一化した暮らしの単位ではなく、自分の変化を見据えて建てた家が、長い目で暮らしを楽しむために必要なのかもしれない。
 それはシンプルだけど、住まいを通じて暮らし方や人生を考えるきっかけを与えてくれる家。そして、家と二人三脚で歩んでいく事で、家の佇まいや、節々に住む人の人柄を感じる唯一無二な住まいが生まれる。


 家と一緒に年を重ねてゆくためには、住まう人が毎日の暮らしの中で考えや思いを巡らし、年齢関係なくいい家に住みたいと夢を抱いたり、将来の豊かな暮らしを想像することが必要なことかもしれない。
「住むことの楽しさはいつも思い描いていたわ」と河口さんは優しく微笑んだ。  

写真:原田 教正
文:編集部