外部取材

no.3 甘くて塩っぱい どようびの味 1/3

「マフィンとスコーン どようび」 瀬谷薫子

 瀬谷さんのつくるお菓子は、ほのかにしょっぱい。それは時に、甘さよりも先にやってくる。塩はどれくらい入れるのですかと尋ねると「一般的な焼き菓子よりは、気持ち多めに入れています」とひと言。井の頭公園の裏路地で、ひと月に数回の「どようび」が始まってちょうど一年が過ぎた。最近では行列ができてしまい、即完売。そんな嬉しい悲鳴にもまだ慣れないのか、開店前はいつもソワソワしているという瀬谷さん。その味は、どこからやってきたのだろう。

たまの土曜日に

 レモンとココナッツにチョコと岩塩、柿とシナモンクランブルなど、あまり見慣れない組み合わせ。どれもマフィンのことだ。他にも、かぼちゃ黒糖あんやハニーベーコンマスタードのスコーンもある。「おにぎりみたいな」と自身でも形容するように、まるっこくて、言われてみればごはんにも見えるその姿が愛らしい。

 小さい頃から焼き菓子を作っていたという瀬谷さんが、本格的にのめりこんだのは、学生時代に遡る。「大学で新聞学科に在籍していたんです。母が編集の仕事をしていて、自然と私もその道をいくのだと思っていました」と瀬谷さん。だが就職活動が始まると、事は思うように進まない。いくつエントリーシートを書けども、いっこうに成就せず不安の募る日々が続く。4時間も真剣に考えて書くのに、締め切り直前にさっと書いて出す友人がすんなり就職を決めたり、気持ちは次第に落ち込んでいったという。そんな時、ふと見かけたのがパン屋のアルバイト募集だった。

 「ほんとうに衝動的でした。現実逃避というか、応募してしまったんです」と瀬谷さん。就職活動中にもかかわらず面接を受けると、数日後には電話が鳴った。採用という言葉に、就活が決まったわけではなかったが「やっともらえたその言葉」と思ったのだそう。そうして働き始めたのは、街の小さな個人経営店。大学3回生も終わりがけの頃、ちっとも現実的な行動とは言えなかった。

 はじめは店頭での接客。いつしか厨房にも入り、その楽しさから失った活力も徐々に取り戻していく。並行する就活ではやっとの思いでデザイン会社から内定をもらい、インターンも始まった。「編集者にはなれませんでしたが、内定先は美大出身の方が多くて、私の育った環境と違う自由な雰囲気が心地いいなと思いました」と振り返るように、すっかり日々は落ち着きを取り戻していくかに見えた。
 だが、しばらくすると、どうにもしっくりこない。ちょうどバイト先では厨房に入ってクッキーを焼き始めた頃。「デザイン会社でインターンをしながら、本当にやりたい仕事がここにあるのかわからなくて、もやもやしていました。一方パン屋のバイト先では自分が作ったものがおいしいと言ってもらえて、それで夢をみちゃいましたね。」と悩んだ末に、なんと内定を辞退しパンづくりの道を選ぶことになったのだ。

 こうして、ようやくパンづくりを本格的にはじめることなった瀬谷さん。一人暮らしをしながら、朝から晩まで店でも家でも、ひたすらパンとマフィンを焼いては、ノートにレシピをつける日々。その頃を振り返って「貧乏だったなぁ。豆大福ひとつ買うのをためらうくらいで。そのころ買った服はGUのカーディガン1着だけでした」とは、実感の込もった言葉。その生活が1年を過ぎたころ、経済的にも体力的にも力尽きてしまったのも、無理はなかったのかもしれない。

 再び悩みはじめた瀬谷さんが心配する両親を尋ねると、母からの思いもよらぬ言葉が。「もう一度、別の方向をめざしてみたら」。それは、思い立ったら行動せずには済まない娘の性格を分かってこそ、機を見計らっての言葉だったのだろう。パン作りとバイト生活に区切りをつけ、中途採用で転職した先は、出版社だった。念願の編集者。だが、やっと学生時代からの夢が叶った嬉しさ半分「パンづくりに挫折した気後れもありました」と当時を振り返り、複雑な思いをのぞかせる。少し遠回りをして、いろいろな壁に頭をぶつけながら、自分なりに歩いた道だった。

自分のために没頭する

 あれから6年、出版社勤務を経た瀬谷さんは、今も別の会社で平日は編集業に携わりながら、再び焼き菓子をつくっている。それの始まりが2019年の1月だった。決して趣味や片手間ではなく、あの頃と変わらない没頭ぶり。昔のレシピを引っ張り出し、食べ歩いた味を思い返し新しいアイデアを加え、企業秘密な生地を黙々と練っている。「今の仕事は楽しいけど、あの頃よりも少しだけ俯瞰して『やりたいこと』を考えられるようになったこのタイミングで、昔諦めた夢にも別のかたちで挑戦できるかもしれないと思ったんです。好きだった焼き菓子も食べ歩くばかりじゃなく、こういうものが作りたいという想いの方が勝るようになってきて」というように、燃料切れだったのか、どこかでバランスが取れなくなっていたのかもしれない。

 編集も好きだけど、粉1gで味が変わる職人的な世界もすごく好きだという瀬谷さんにとって、沢山の人と一緒に作り上げるプロセスと同様に、自分自身の手で作り出来栄えを確かめることも、日々の平衡感覚を失わないために必要なのだろう。間借りのキッチンという、程よい場所を借りられたことも手伝って、仕込みや販売と大忙しな週末も、平日の活力になっている。

 甘いも苦いも味わって、今は続けられるペースを考えながら、あくまで「自分が食べたい味」をめざしてつくる焼き菓子。それが、結果として多くの人に喜ばれるのは、ただ甘いだけのお菓子ではないからなのだろう。「食べてもらうから、自己満足とはいきませんよ。美味しいと思ってもらえているか気にもなります」と、素直な気持ちもそこには当然ある。ほのかに感じる塩味は、様々な体験から得たバランス感覚から、きているのかもしれない。

2話に続く

クッキーのレシピ

◎抹茶のボタンクッキー (40枚分)

A

薄力粉 180g
抹茶パウダー 8g
コーンスターチ 20g
砂糖   60g
(種類は何でもいいですが、白砂糖の方が抹茶の色が綺麗にでます)
塩 2g
菜種油 60g
豆乳 適量

(作り方)

①Aをボウルに合わせて、泡立て器で空気を入れるように混ぜる。
②菜種油を1に一度に加える。
③指先で素早くかき混ぜて、全体がポロポロしたそぼろ状になったら
生地をまとめる。ポロポロしすぎてまとめにくい場合は、豆乳を適量加える。
④一口大に生地をちぎり、丸めてぎゅっと潰し、平たい丸型にしてオーブンシートに並べていく。
⑤爪楊枝などで小さな穴を表面に開ける。
⑥190度に熱したオーブンで10分→反転させて3〜4分焼く。(裏面にほんのり焦げ目がつくくらいができあがりの目安)

・「マフィンとスコーン どようび」
東京・吉祥寺の井の頭公園近くで月に数回土曜日にオープンする、マフィンとスコーンの店。「おにぎりみたいな焼き菓子」をコンセプトに、冷めてもおいしい素朴な焼き菓子を作る。営業日やメニューのお知らせはインスタグラム@doyoubi_muffinをご確認ください

写真・文:原田 教正