外部取材

no.1 琺瑯が教えてくれた、 家庭と料理のいい関係

この記事は、住む人第2号に掲載されたものを特別公開したものです

琺瑯を愛し、作り続ける野田琺瑯。
その根底には「家庭料理が大切」という考えがある。
家族で食卓を囲む、その時間が家族の愛を育み、
日々の暮らしを豊かにする。
琺瑯を通して私たちの暮らしを支える、
野田琺瑯が大切にしていること。

 琺瑯づくり一筋。野田琺瑯は、3代目の野田浩一さん(現:会長)で創業86年を迎えた。今や、多くの家庭で愛用されている野田琺瑯だが、家族経営のこじんまりした会社だ。当初は理化学用品や衛生用品を製造していたが、現在はバットやボウル、鍋などの料理には欠かせない調理用品を製造する。「野田琺瑯という名前が認知され、指名買いいただけるようになったことは、とても光栄なことだと思っています」と、嬉しそうに話す野田さん。「とにかく『どうしたらもっといい製品をつくれるのか』、それだけを考えている人です。名誉欲のない、仕事が大好きな人です」。そう笑顔で、野田さんの奥さま、善子さんは野田さんのことを答えた。片道2時間をかけて栃木の自社工場から東京の家に帰ってきても、椅子には座らずそのまま台所に入り、琺瑯を使って調理を始める。もっとこうしたらどうか、こんな製品があったらどうか。日々、そんな会話が台所では繰り返されるそうだ。


 野田琺瑯には、根底に「家庭料理は生活を豊かにする」という考えがある。「家族で食卓を囲み食事を共にすることは、家族の心の健康にもつながる」と善子さん。だから、野田琺瑯は一貫して、家庭料理を手助けするための製品を作りつづけている。実際に野田家は朝昼晩、自宅で食事をとる。たった1時間の昼休みでも、琺瑯に入れた常備菜を活用すれば手間も少ない。
 かつて約80社ほどあった琺瑯会社は、現在数社にまで減った。国内の現存メーカーで唯一、自社で一貫生産を行っているのが野田琺瑯だ。製造方法は驚くことに、そのほとんどが手作業。「原始的な作り方で手間もかかりますが、とにかく美しい製品をつくりたいです」。メイド・イン・ジャパンであることに誇りを持ち、ひとつひとつが丁寧につくられていく。「さすが野田琺瑯、と言われるものづくりをしたい」と野田さん。製品の種類によって異なるが、工程は10以上。琺瑯専用の鋼板を成形し、調合した釉薬を均一に施し、高温で焼き付ける。各持ち場の人びとが職人技で、自らの経験を頼りに作り上げていく様は緊張感が漂う。最も難しい工程を任せられるようになるには10年かかるそうだ。


 野田さんはものづくりにおいて「機能美が一番大事」と言う。「カッコいいだけのデザインではなく、使いやすさを追求することが重要です。逆に機能の中にも美しさが大事。機能も美しさも兼ね備えた、なるべくシンプルなデザインを常に目指しています」。曲線の角度違いでいくつも試作品をつくり、台所で何度も使用感を試す。その繰り返しの結果、美しく、使い心地のよい製品が出来上がるのだ。そこには、野田さんの哲学と思いが、確かに宿っている。なめらかな曲線のボウルが隙間なく重なる様には潔さを感じ、サイズ違いのバットは毎日使っていても飽きが来ない。「儲かるとかブームとかは関係ありません。喜んでもらえるもの、自分が納得できるものをつくりたいです」。市場調査はせず、日々の暮らしの中で〝こんなものがあったら便利になる〟というものを、形にしていく。家庭と密接した感覚を製品に反映すること。それが野田琺瑯の哲学だ。


 製品の一番の使い手が夫人の善子さんだ。台所で実際に製品を使用し、その意見を基に日々改良を重ねる。そうして生まれた人気商品が『ホワイトシリーズ』だ。「どんな食材でも映える、凛とした白色の、冷蔵庫用の保存容器が欲しかったんです」。柄物の琺瑯雑貨ブームの最中、反対もあったが善子さんの熱い思いに野田さんは製造を決めた。「毎日使っても、便利さに感謝します。使いながら自分の心が満たされて、琺瑯が愛おしくなる。そんな気持ちが生まれる製品にしたいと思いました」。善子さんの思いは長い時間をかけて多くの家庭に受け継がれていき、今や野田琺瑯を代表する製品となった。
 善子さんにお会いする前、野田さんに夫人のことを伺うと「料理が好き、というよりも、食べることが好きな人です」と話した。そんな夫人の影響もあってか、野田家はみんな食いしん坊で、料理は豪快。そのため、野田家の目線で作られた琺瑯製品の中には、少し大きめになるものもあるそうだ。ロカポという油をこす器具がある。開発当初はサイズが大きすぎると反対されたそうだが、「多めの揚げ油を一度にこすためには、この容量が必要と確信しました」と考えを貫き、今や売れ筋製品となった。野田家同様、実は食いしん坊な人は多いのかもしれない。


 家庭料理の魅力とはなんだろうかと、善子さんにたずねた。「食べものの話は誰も傷つけませんよね。こんな風に作ったとか、今日はこれが美味しいとか。食卓を囲んで会話をしながら、あたたかいごはんを一緒に食べると楽しい気持ちになります」。最近はバラバラで食べる家族も多いというが。「人間はね、愛が中心にないと寂しいんです。愛を育む上で、家庭料理は大事です。美味しいものを食べただけで、ハッピーになれる。幸せって、実はとても身近なものだと気が付くんです」。明るい笑顔で話す姿に、こちらも気持ちが晴れやかになる。食を通じれば、大方のことがわかると善子さんは続ける。「今日あったことを根掘り葉掘り聞かれるのは、誰しも嫌だと思うんです。でも毎日一緒に食べていると、ぼそぼそ食べたり、力いっぱい食べたり。食べっぷりで、自然とその人の心の状態が手に取るようにわかってきます」。他愛もない会話や素振り、食卓を通して相手を感じることで、家族の愛が静かに育まれていくのだろう。子どもが巣立った今、二人はよく一緒にキッチンに立つという。その時間は夫婦にとって大切なコミュニケーションの時間だ。「私は今でも主人といるのが、居心地がよくて一番好きですね」。二人で料理を一緒に作れば、美味しいうちに時間差がなく食べられる。家庭と料理のいい関係を積み重ねることで、心はずっと豊かになると善子さんは教えてくれた。夫婦円満の秘訣は、と二人別々の場所で伺った。すると「互いを思いやること」と同じ答えが返ってきて思わず微笑んだ。


 「今の時代、人々の健全な生活を考える時、人間の根源である『食生活』を軸にして見直してみることが大切だと思います」──野田琺瑯の製品たちには、琺瑯への誇りと日々の暮らしへの愛が込められている。それらが世の中に認められ、多くの愛用者がいることは単なる偶然ではない。家庭料理を作る、食べる。それは外食やコンビニ飯では感じられない心の健康、お腹を満たすという役割以上に家族のつながりを育むものだと野田夫妻は教えてくれた。食べることを楽しみながら、琺瑯を介して生まれる優しくてあたたかい食卓が、住まいの真ん中で、家庭と料理のいい関係を築いてくれることだろう。

写真キャプション
・丁寧に、毎日使いながら育てていくのが野田琺瑯を使う楽しさ。使い手の方からの意見が、改良のヒントになることもある。

・野田琺瑯、3代目の野田浩一(現:会長)。週に3日は栃木の工場に通い、デザインからすべての製品づくりまで関わる。休日にはゴルフや美術鑑賞を楽しみ、自宅には落語やクラシックのCDが並ぶ。
・バブル前は引き出物として人気のあった琺瑯。しかしブームにはのらず、少量多品種のものづくりを重視してきたと、社長は話す。
・ロゴをひとつひとつ、丁寧に特殊なインクをつかったスタンプで押印する。シンプルで、美しいデザインだ。
・約850度の焼成炉を通り、釉薬を焼き付ける。焼成炉内で徐熱・焼成・徐冷が終わり炉から出てくると美しい色になる。
・施薬した製品は、金具に吊るして乾燥させる。少量多品種、工程もそれぞれ違う。全員が臨機応変に対応する。
・やっとこを使って、釉薬を施釉する。遠心力を利用し、素早く均一にしなければいけない、最も難しい工程。
・特徴のある製品づくりをしたいと、オイルポットやぬか漬け用の保存容器などさまざまなアイディア製品も生まれ、商品数は数えられないほどあるという。
・初めて野田琺瑯を使う方には「まずは一つ使ってみて」とアドバイスするそう。それぞれの暮らしに合う物を試して、使い心地がよかったら買い足していくのがおすすめ。
・「料理をしながら自分を磨く」と善子さん。手伝うことを要求せず、互いを思いやることが心地よい家族を作っていくと教えてくれた。

野田琺瑯(のだほうろう)
昭和9年創業。日用品の琺瑯商品を数多く製造する。「琺瑯は、使う人の心延(こころばえ)を的確に表してくれる日常の道具として80年以上、心をつくし、手をつくし、造りつづけています」。野田琺瑯の社訓だ。

写真=原田 教正
文=羽佐田 瑶子