食べかけへの愛

食べかけへの愛 no.1

惜しまれて店を畳むのだろう。

それはよく晴れた土曜日の午後であった。店の前にはちょっとした人だかりができている。残念そうな顔を浮かべ、店主と話し込んでいるお客も大勢いた。

私はここに引っ越してきてから、もうすぐ2年が経とうとしている。引っ越してくる前までは知らなかったのだが、このお店は、巷では昔ながらのカレー屋として、そして雑誌のカレー特集でも紹介される有名店として知られていた。

今日はこのカレー屋のお話。

初めてのカレーは、確か、雪か台風の日だった。

その店の扉を開けた途端、スパイスの香りが広がっている。よくカレー屋でありそうな表現と思われがちだけれど、ここは、壁、床、テーブル、置物、読み漁られた漫画雑誌。

すべてからスパイスの香りが漂ってくるような気がした。

「ここのカレーはね、本当に可愛くて美味しいんだよ」と前々から話は聞いていたものの、なかなか機会がなかった。今日は待ち望んでいた悲願のカレーの日なのだ。

「本当に可愛くて美味しいカレーなんだ」と今日も隣に座っている彼が言う。でもその話は本当のようで、遠方からはるばる訪れる人も多いらしい。

そして運ばれてきた、キーマカレー。どれどれ……と眺めてみる。

じっくり煮込んだカレー大陸の上に、ゆで卵のスライスがちょこんと乗せられ、福神漬けはさりげなく。

なんて可愛い姿なんだろうか。厨房の奥でお母さんが一生懸命ゆで卵をスライスしているのかな? たまにはサイズがまちまちの時もあるんだろうな、とか。私の想像力が掻き立てられ、一気に食べたいボルテージが最大に。もう食べるしかない。もう待てない。

そして、一口食べる。少しスパイシー。あれだけの匂いが染み付いているのも納得する。ちょっぴり小言も言ってくるけれど、やっぱり優しい母のような味。

「美味しい……」と思っていた次の瞬間。

「あれ」

一口食べた後に気がついた。その完全なカレーの姿を私は写真に収めていないじゃないか。見た瞬間、食べずにはいられなかった。うっかりしていた、これだからいつもダメなんだ。すっかりスパイスの香りにまみれた私は肩を落としていた。

しかし、見上げると、そこにはなんとも愛らしい姿があった。

これぞ偶然の産物。一口食べられたカレーの不完全な姿がとても愛くるしく見えた。やっぱり食べかけが好きだと改めて気がつき、写真に収め上機嫌。その後も楽しくカレーを堪能したのであった。

このお店はもう閉店してしまったが、空きスペースには

きっとまだ、あのカレーの匂いが染み付いているのだろうと、

店の前を通るたびに想像する。そしてあの愛らしさをいつまでも思い出すのだった。

(レモンの木)