住む人日記

8.1.2024 Tokyo

11月13日に日記を書いたのを最後に、いつの間にかドイツから帰国してしまった。そして年を越し、今は24年の1月9日を迎えている。あのあと私は、東京からベルリンまで尋ねに来てくれた私のスタッフと合流しつつ、再度フランクフルトに赴き、ベルリンに戻った翌日からは日本の雑誌媒体の撮影。そしてその間、アムステルダムからも友人が訪ねに来てくれたり、そうこうしているとあっという間に11月30日を迎えることに。この季節には珍しく、ベルリンの気温は氷点下7℃にまで下がり街は一面の雪景色に覆われることになった。そして、ベルリンのアパートの解約と退去を済ませると、12月1日から1週間ほどフィンランドはラップランドを訪ねた。

ここでは公開できないが、アーティストレジデンスに滞在しながら、森を歩き回ったり、極夜と白銀の日々はあっという間に過ぎていった。

そうして7日の夜にベルリンに戻ると、ドイツ鉄道のストライキと重なり四苦八苦しながら空港を脱出し、ノイケルンにある友人のアパートまで向かった。最後の2日間は、思い残したことが溢れてしまい、また必ず戻ってくるからと、どこかに行くというよりもただ普通に昼食を食べに出かけ、散歩をした。振り返ればあまりに濃密で、自由で、解き放たれたような日々だった。

そんな日常の中で、日本には地震があることなどすっかり忘れていたのかもしれない。帰国後はとても慌ただしく過ごすことになり、気がつけば大晦日。そして元旦を迎え、石川県は能登で大きな地震が発生した。テレビを持たない私は、ネット番組で速報を見ながら3.11のことを思い出していた。普通に生活しているだけなのに、突然地面が揺れて全てが無に帰してしまうなんて、いくら地球が生きている所作とはいえ、あまりに理不尽ではないか…。そんなことを、思わず口にした。

被災された多くの方や知人の顔を思い浮かべながら、今はただ、少しでも多くの人の心が癒されたなら…そう願わずにはいられない。