住む人日記

住む人日記03

 気がつけば月日は流れて、もう6月が終わろうとしている。東京は今年もまた梅雨入りをしたが、思ったほど雨は降っていない。去年の長雨と違い、朝はだいたい曇りか晴れで、思い出したようにスコールが降り出す。そんな日々だ。
 そして私ごとだが、5月30日の夜中、母方の祖父がこの世を去った。末期の癌が見つかって1年半、86歳だった。その日私は、撮影で十和田湖のほとりにいて、強い雨風が屋根に打ちつけるなか眠りにつくと、夢の中で遠く太鼓を打ち鳴らすような音を聞いた。ドン…ドン……ドン………と、それはしばらく続いたのち次第に小さくなり、鳴り止んだと思った矢先に母からの電話が鳴った。咄嗟だが、寝ぼけながらにその意味をすぐに悟っると、母はその通りに祖父の名前を口にして、息が止まったことを伝えると「急いで帰らなくていい。あなたは撮影を終えてきなさい」と言って電話を切った。

 あれから幾日も経った。私は言われた通り撮影が終わるまで十和田に残利、葬儀の前日に帰郷すると慌てて喪服を用意した。それで良いのか分からなかったが、生きていたなら祖父はきっとそれを望むだろうと思った。棺のなかで眠る祖父は仏のように静かな顔をして、苦しい闘病生活からも解放されていた。初めて見るその優しい顔は、何もこの世に思い残すことはなかったのではと感じさせるほど、無に等しいほど穏やかだった。
 今は身体という形から解放されてどこにでも行けるのだろう。はじめはそう思っては見たが、それだけではやはり受け入れきれず、泣きたくとも涙すら流せないまま感情の行き先に困りもした。だが少しづつ、不安的な時もありながら私も祖父のいない日常に順応しようとしている。

 歳を重ねると、祖父母と顔を合わせる機会も以前よりも減るものだが、いつだって来訪を喜び抱きしめてくれる存在とし、そんな大人はこの世にそう多くはいないことを痛感している。どこかで私を思い出しては、心配したり励ましたりしてくれる人がいる。そのことに、たくさん甘えていたのだ。これからは僕が少しでも長生きでいるように見守っていて欲しい。
 もうすぐ納骨と49日。そしてお盆もやってくる。故人との別れを円滑にするための古来からの風習に、感謝しつつ、心から祖父の冥福を祈り。

写真は、祖父も通ったという十和田と八甲田の景色より。亡くなった日に祖父が好きな場所にいた偶然をなんと言っていかわからない。

住む人編集部 K.H