住む人日記

住む人日記02

 春がもうすぐそこまで、来ている。暖かな幸せがぷかぷかと浮かんでいるようだ。入院していた祖父はついこないだ、奇跡的に持ち直し自宅へ帰ることができた。離れて暮らしているから、こんなご時世、会いには行けない。だがせっかく自分の足で大好きな家に帰れたのだから、このまま桜を眺めて穏やかに春を過ごして欲しいと願っている。

 私にはもうひとり、二世帯住宅で一緒に暮らしていた祖父がいる。透析になった一昨年、オリンピックまでは生きると言ったその祖父も、開催延期となったおかげか、週3回の通院を欠かさずに、前よりも優しい顔をして過ごしている。
 もう私が三十路だというのに、父方と母方の祖父母が誰ひとり欠けることなく健在なのは、稀なことかもしれない。とは言え、この2年ほどで急に色々なことがおこり、常に落ち着かない状況にあった。

 新型ウイルスの影響から気軽に会うことは叶わないが、今はふたりが頑張って生きていることが、ただただ嬉しい。私に会うことを生きがいのように思い喜んでくれるふたりだが、実のところ私の方こそ元気をもらっている。

 ふたりの祖父とは、30年近い年月のなかで、決して暖かく穏やかとは言えない、色々なことがあった。なにごとにも繊細でやや気性の荒いともに暮らした祖父とは、思春期には壮絶は衝突を繰り返し、反目し、憎いとさえ思う時期もあった。だが写真の道を選ぶとき、誰よりも背中を押しさまざまな面で理解者として見守ってくれたのも、祖父だった。 何故あれほど私に厳しかったのか、何故これほど甘やかしてくれたのか、今なら少し分かる気もする。

 泰然自若として大酒飲みな祖父には、言葉は少ないながらも人としての生き方を問われ、厳しい言葉をかけられたことも何度かあった。決して私を甘やかしはしないが、いつも帰り際に強く手を握り、抱き締めてくれることを覚えている。「かずまさ、空を見ろよ」が口癖だった。おかげで困ったことがあれば、いつもそうしている。

 そんな祖父たちが、れぞれに晩年を生き、死という避けられない運命と向き合っている。この数年抱えていた、ふたりをいっぺんに失うかもしれない不安は、やがて私自身の受け入れがたい恐怖に変わっていたように思う。なぜ死ぬのに、わざわざ生まれるのかとさえ疑問に思うこともあった。そこに答えは見つからないが、与えられた人生を、ただ目の前の時間を、懸命に生きることが私たちにできることなのだと、ふたりをみて今は強く思うことができる。

 ふたりの祖父が頑張って生きている。そして私自身も生きている。3月1日の夕方5時、借りたばかりの事務所の手続きをして家に帰る道すがら、ほどよく冷たい風に、花や草木の香りが満ちていた。春はもうすぐそこである。

sumuhito : Kazumasa Harada